メガネ属性≠負け属性

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ハル遠カラジを読んだ

病を患う軍用AIと自然の中で育ったじゃじゃ馬少女のお話

終末ものと言えば旅。旅と言えば終末ものと言うくらい(今思いついた)この二つは相性が良くたくさんの物語が描かれてきた。この「ハル遠カラジ」も人がほとんどいなくなってしまった世界でAIMDと呼ばれる病気をもつロボット「テスタ」と口の悪い野生児の少女「ハル」の旅を描くお話だ。

終末ものにおいて人との出会い、関わりは外せない。相手はこちらに害をなすものなのか、はたまたかけがえのない味方なのかというところから、新たな旅の目的をもたらしたり、道中を共にする仲間になったり、時にはあっけない別れまで、様々な物語を紡ぐ。終末ものは非情な現実が常に隣り合わせであることを当たり前に許容してくれるからこそ苦楽をともしてくれる仲間の存在を大きくしてくれる良さがある。

 

 

この「ハル遠カラジ」は一部奇妙な構成でお話が綴られていく。お話の中心人物、2人のうち一方はロボットである。人とロボットという組み合わせでは共感のしやすさから人である「ハル」の視点からお話が描かれるの普通だろう。しかし、このお話ではロボット(人工知能)である「テスタ」が語り部を担当する。お話全体を通して一貫して「テスタ」の視点から描かれ、「ハル」の視点に切り替わることは一切ない。

そして、人ならざるものの視点でお話が描かれる場合、その思考の特異性を強調するために意識的に地の文を平時と変化させる小説ならではの手法がある。特にロボットやAIなどの人工物のときはかなりの割合で無機質なプログラムっぽい文体が使われる。しかし、このお話では地の文、心理描写はどこにでもある一般的な文体をとっている。まるでここの世界のAIはほとんどヒトの思考とほとんど変わらないということを示しているようである。読み終わった今ではそのとおりだったと感じるし、このことは「テスタ」の患う病気と深くかかわっているのだと分かった。

 

「テスタ」を蝕む病は作中では以下のように説明される。

  AIMD ─ ─ ─ Artificial Intelligence Mental Disorder
論理的自己矛盾から生じる人工知能精神障害

人の役に立つために生まれ、生まれながらにして人を殺す手伝いをさせられる軍用ロボットという存在矛盾。野生児である「ハル」にときに無情になってでも世界で生き抜いていく方法を教える反面、人としての社会性を育んであげたいという葛藤。自己存在の承認のために「ハル」を利用している自分の醜さ。「テスタ」の持つ悩みは人ならば誰しも大なり小なり抱える苦悩もあり、「テスタ」は自己の存在について押し問答を続ける。答えの出ない問題はAIMDという病名となって「テスタ」を強制停止させ、寿命を刻々と削る。

 「テスタ」の病気を治す「医工師」とよばれる人を探す旅をするところから始まり、旅の中で「ハル」が初めて「テスタ」以外の人と関わりを持ったり。そんな中でもあくまで「テスタ」がお話の中心であり、「テスタ」と「ハル」の関係がお話の根幹をなす。そのため、記事のアタマに書いたような終末ものとカテゴライズするよりは少し違く、考えさせる種類のお話だった。

 

「テスタ」は人と関わるには優しすぎるのだろう。考えすぎる故に自己嫌悪してしまうのは優しさがあるからなんだろうなあなんて思ったりなんだり。人と関わることについて、ともすると傲慢ともとれるその行為について人以外の視点から描いた変わった作品で面白かった。単巻で終わると思っていたら次巻が出ているみたい…楽しみにして読むかー

 

初めて既存のカテゴリーだけの記事を書けた。やったね!

でも、次は霧島完成したー!って記事書きたいからまたどれにも属さないカテゴリーになるんだよなぁ…

 

ハル遠カラジ (ガガガ文庫)

ハル遠カラジ (ガガガ文庫)