メガネ属性≠負け属性

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弱キャラ友崎くんが面白い

弱キャラ友崎くん」が7巻で一つ大きな物語の節目を向かえたので紹介したいと思う。 

現在短編集1冊を含めて全8巻が刊行されていて(全8巻というと勧めるのは少し迷ってしまう微妙な巻数だと思う)、ガガガ文庫の推しっぷりが凄い。「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」のときに勝らずとも劣らない推しっぷりである。累計販売冊数50万部突破!某この○○がすごいで3年間上位!らしく、この調子なら、おそらくアニメ化もされるだろう。

 ここまで書いて、あれ?別に売れてるラノベを紹介する必要なくないか?と思ったけど、書きたいから書くんだよ。

物語のあらすじ

この作品は主人公の友崎文也を人生の弱キャラから自分と肩を並べるまで強キャラになるために1巻の表紙を飾るパーフェクトヒロイン日南葵に成長させられる物語だ。要はスクールカースト最底辺の人間を最上位まで押し上げようということだ。スクールカーストって出てくるとガガガっぽいね!ついでにあとがき芸はひたすら表紙絵のフェチズムについて語ることだよ!ラノベっぽいね!

パーフェクトヒロイン日南葵(通称 魔王)

こう書くと、なるほど日南葵というのは主人公のことが好きなんだろうと思われるオタクの方もいるだろう。しかし、そんなことはなくむしろ日南葵は人生の成長の足掛かりのために友崎くんに対して「3年生進級までに彼女を作れ」だとか「異性の友達を作って彼女候補を増やせ」、「誰それと休日に会う約束をしろ」といった課題を課してくる。友崎への人生指南は徹底した効率主義でこいつ人の感情あるのか?と疑うレベルである。その冷徹な効率主義っぷりはスクールカースト最上位として君臨するために日南葵という人間を意図して自ら作り上げているところからも垣間見れる。そんなパーフェクトヒロインの日南葵さん、巷では「魔王」などと呼称されている。1巻の表紙飾っている割にだいぶヒロインとは程遠い存在である。

この作品を長い目で見たときに気になるの問題の一つとして友崎文也は日南葵を攻略するの?するとしたらどうやって?それとも日南さんは魔王として君臨し続けるの?という点である。現状、友崎くんに日南さんの攻略はレベルが圧倒的に不足していて、まるでRPGでいつでも戦えるけど、終盤にならないと勝てない序盤エリアにいるシンボルエンカウントモンスターのようである。高校編の友崎くんじゃ無理じゃないか?せめて社会人編までいかないと…

物語の展開をざっくりと説明しつつの感想

自分が買い始めた4巻時点でも結構話題性が高かった。自分は最初の数巻あたりは面白いと思っていたが、序盤は弱キャラ友崎くんのコミュニケーション能力を上げるための特訓が物語のメインだったため、ハウツー本くささが鼻について、これが売れているという事実は理解できるものの勧めるには微妙だなとか思っていた(くそ面倒くさいオタクだ)。鼻についていたとか言いながらも、こういう理屈臭いことを物語として仕立て上げるのはすごいと思ったし、物語自体は面白いものだった。ただ、見慣れない要素にとりあえず嫌悪していただけである(こういう排他的な奴は我ながら糞だと思う)。その鼻についていたハウツー本臭さも物語が進み、初めは弱キャラでしかなかった友崎くんが成長するにつれて物語の主導権を持つようになるにつれて薄まっていった。そこから、ただ友崎くんがスクールカーストの上位になるために成長するだけの物語から周りの登場人物を巻き込むように物語が進むようになる。自ら率先して、生徒会長候補の推薦人をしたり、スクールカーストトップのリア充の恋路を成就させたり、クラスの孤立した同級生の女子を救ってあげる手助けをしたりする。徐々に成長していく友崎くんは作品の中でも自分に自信を持てるようになっていて、どんどんこの作品に惹きこまれていった。

そんなこんなで物語が進む「弱キャラ友崎くん」6,7巻はようやく少し日南葵の人間性に関わるところに触れる兆しが出てきた。一方で文化祭恋愛パートは終わり物語の節目を向かえた。さてさて、次巻からは何をメインに話を進めるのか中々読めない。日南の超人っぷりを維持する努力の理由には何か常人ならざるものを抱えてないと納得できないとも思うし、そこが分かってしまうと物語として日南が超人から普通の人に落ちてしまうんじゃないか、つまらなくなってしまうんじゃないかという怖さもある。今からなら、それも含めて楽しめると思うじゃないかな。