メガネ属性≠負け属性

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氷菓ー「青春の痛み」とは何なのかー

現在、氷菓が再放送されている。
本放送時は2012年、大学一年の春であった。
米澤穂信作品の2回目の映像化の不安があった、制作会社京アニという事実に驚き期待を膨らませた、北海道の地上波で観れないと分かり焦り、BSが入ることを第一条件に部屋を必死に探した。すべて懐かしい。

日常の謎ってジャンル、好き。

この作品は「日常の謎」というミステリの1ジャンルに属している。
ミステリというジャンルは探偵、殺人事件、刑事ドラマなど事件性の強いものを想像されることが多く、ときにサスペンスと混同されるほど、「非日常」的な物語が描かれる。
それに対し「日常」にある些細な引っかかりを謎として扱い、これを解くことを主旨とするのが「日常の謎」と呼ばれるジャンルである。
基本的にミステリというのは、謎を解くことによって事件が解決し「日常」に戻る物語である。
一方、「日常の謎」は物語に「非日常」は介入しないため、謎を解いても「日常」から「日常」がただ続くだけである。謎を解くことは物語の解決ではなく、物語を進めるためのパーツに過ぎない。
謎を解いて知った真実は登場人物たちに何をもたらすのかが「日常の謎」というジャンルの面白さなのだと思う。

古典部の人は自分のこと把握しすぎ

氷菓の主人公である折木奉太郎は物語の探偵役である。「やらなくてもいいことなら、やらない。やらなければいけないことなら手短に」を座右の銘にするほど「省エネ主義」を貫いている。そのため、物語では基本的に誰かに振り回され、探偵役に担がれ、謎を解く役回りである。
謎を解く中で奉太郎は何かに熱中する、自分の省エネ主義とは違う生き方をする、人たちに触れる。その熱量に浮かされ、奉太郎自身も少し感化されていく。
こういった変化を普通のアニメでは「成長」というカタルシスとして描かれる。
しかし、この作品の登場人物では「省エネ主義」のように自分の性格や主義、信条に非常に自覚的であり、その信条こそが彼ら彼女らのアイデンティティ、つまり、自分たらしめているものである。
そのため、奉太郎たちの変化は「成長」ではなくアイデンティティの喪失、青春の痛みとして描かれる。
この作品の特徴(というか米澤穂信の作風)である。

奉太郎の想像力、豊か

日常の謎」は地味である。日常をテーマに扱っているため劇的な物語はなく、インパクトのある絵面はない。そこでアニメの中では奉太郎の思考、推理をアニメーションで説明の助けにすることで飽きさせない映像が作り上げられている。
元々、アニメーションは記号的、抽象的なものからリアル寄りまで表現の幅が広いため、思考の流れなどぼやっとしたものを描くことに長けている。
実際に、奉太郎の思考の流れの表現は2話のように文字など記号を動かすことで説明したり、1話のように物語パートと変わらない絵面で説明したり、はたまた動物を擬人化させてみたり、様々な表現方法を毎回変化させて使っている。

2回目の視聴としてはこの違いの演出意図を考えながら観るのも面白いのかもしれない。

今日の一枚

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メイドインアビスの映画を観に行った帰りにぶらぶら散歩した。
15時ごろだけど、日本海側の冬は暗いイメージが染みついている。