メガネ属性≠負け属性

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氷菓 第二十二話「遠回りする雛」ー灰色の青春の崩壊ー

あぁ、
しまった。
よくない。これはよくない。
たぶん、なんとしても俺はここに来るべきでなかった。
俺の省エネ主義が致命的に脅かされている。

アニメ 氷菓 第二十二話「遠回りする雛」の奉太郎のセリフである。
奉太郎は古典部に入ってからの1年を通して、部活や恋にまい進する薔薇色の青春に触れながらも、省エネ主義を掲げ灰色の青春を選び取ってきた。それが千反田によって、避けようもなく崩壊させられてしまうのがこの「遠回りする雛」なのである。


氷菓」については以前の記事でも扱った。
奉太郎たちにとって、変化とはアイデンティティの喪失であるため痛みを伴うのだ。という要旨である。
変化を起こすには現状の安定な状態から一度不安定な状態を経由する必要がある。氷菓二十二話「遠回りする雛」では、不安定な心理状態に置かれる奉太郎を描いている。
wanwanfever.hatenablog.jp

奉太郎の心情に寄り添う二十二話

この話は奉太郎の心理的な起伏を基に分けると、
大きく以下の五つのパートに分けることができる。

  • 導入 千反田の電話から社務所に着くまで
  • 社務所 社務所に着いて生き雛祭りが始まるまで
  • 生き雛祭り 生き雛がお披露目から祭りが終わるまで
  • 祭りの後 里志たちとの会話から千反田邸での謎解きまで
  • 帰り道 最後の千反田邸からの帰り道での会話

導入 - あまり、雛、雛と言わないでください

千反田の電話で奉太郎は生き雛祭りに参加する依頼を受ける。
ここは話の起点であり、奉太郎は一貫して平常心である。特筆すべきところは特にない。

社務所 - 居心地の悪さに落ち着かない奉太郎

生き雛祭りを手伝うことになり訪れた社務所は、祭りの準備で慌ただしく人が動いている描写から始まり、生き雛祭りのコースが通れないアクシデントの発生、そして千反田に呼ばれ奉太郎が状況の説明をする。という3つの場面で構成される。

忙しなく動く人の中にいて、勝手が分からない奉太郎は出番が来るまで待つしかできず、居心地の悪さに襲われる。そして、千反田に呼ばれて見知った人に会えることに一時安堵するも、着付けの途中のため直接対面はできず大きな帳を介して会話をすることになる。そのうえ、いつもと異なる余所行きのトーンで話しかけられ、千反田も村の人として祭りに参加する人間だと思い知らされる。

このシーンでは、一貫してよそ者として参加する奉太郎の落ち着かない様子が描かれる。

生き雛祭 - 省エネ主義が致命的に脅かされる

そして、次々に社務所から生き雛役のお披露目が始まり、雛役の千反田を見たところから記事の冒頭した奉太郎のセリフが入る。そして祭りの最中は奉太郎のモノローグだけが流れ、里志から声をかけらることで奉太郎は我に返り、祭りのシーンが終了する。

千反田の出てくるところから残像が強くのこり、イマイチ焦点の合わない映像。いつの間にか祭りが始まって終わっている時間間隔のあやふやな描写。心ここにあらずな奉太郎の様子が映像から伝わってくる。

祭りの後 - いつもの奉太郎、いつもの古典部

祭りが終わり、里志と摩耶花との会話。そして、事件の謎の解説を千反田に披露するシーンに続く。

祭りから解放され、里志と摩耶花、そして千反田。いつもの古典部の風景の中に置かれ、この話の中で唯一いつもの奉太郎として振る舞える場面が展開されるのがこのシーンである。

帰り道 - 言えなかったセリフの代わりに

そして、ラストは帰り道の中で、千反田と会話をするシーンである。
ここでは、千反田は名家の長女としての将来設計を語る。
それに対して、告白のような申し出をする自分の姿を幻視する奉太郎は、まだ夢うつつの中にいるようでもある。

そして代わりに「まだ寒いな」と奉太郎は言い、「いいえ、もう春です」と千反田が応えて物語は終幕する。
灰色の青春も終わり、春が来たのだと告げて「氷菓」という作品は幕を閉じるのである。

今日の一枚

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