メガネ属性≠負け属性

アニメとか、ゲームとか、面白かったコンテンツについて言語化したい

魔女見習いをさがして -見つけたのはエンタメの持つ魔法の力-

 「魔女見習いを探して」は「おジャ魔女どれみ」のファンの27歳社会人ミレ、22歳大学4年生のソラ、20歳フリーターのレイカの3人の物語。「おジャ魔女どれみ」をきっかけに出会い友人なった、年齢も住む場所も違う3人。仕事や将来、恋愛など様々な問題に直面し悩みながらも前に進んでいく姿が描かれる。

おジャ魔女どれみとは

 「おジャ魔女どれみ」は1999年にテレビ朝日系列で日曜日朝テレビ放送されたアニメ作品。美空町に住む、小学3年生の春風どれみが本物の魔女マジョリカに出会ったことをきっかけに魔女見習いとなり、友達の藤原はづき妹尾あいこ達と共に魔女になるための修行に励む物語である。
 「おジャ魔女どれみ」は全51話完結後、「おジャ魔女どれみ#」、「も~っと!おジャ魔女どれみ」「おジャ魔女どれみドッカ~ン!」などその後幾つかシリーズ化された。スーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズを含めていわゆるテレビ朝日の「ニチアサ」と呼ばれる時間帯に放映された作品であり、「おジャ魔女どれみ」は現在の「プリキュア」シリーズに引き継がれていく。
 「ニチアサ」は主に3歳程度の未就学児から小学生をターゲットにしており、どの作品でも基本的に"特別な力"を持つ主人公たちを描いた物語となっている。

"魔法"の存在する世界・存在しない現実

 本作「魔女見習いを探して」は前述のとおり、「おジャ魔女どれみ」ファンを描いた物語であり舞台は現実の日本。ギャグの崩し方や物語のテンポは「おジャ魔女どれみ」を彷彿させる一方で、物語のリアリティラインはかなり現実的。
 特に、本作では"魔法"が現実に存在しないということが強く印象づけられるように描かれている。作中では3回ほど"魔法"を願うシーンが出てくるが、走ってきた子どもにぶつかって魔法玉を落としたり、ただの酔っぱらい扱いされたり、現実に冷や水を掛けられるようなシーンに繋がる。あるがままの現実が地続きになっているだけで3人が望むような奇跡の"魔法"はないのだと実感させられる。

"魔法"がなくとも

 「ニチアサ」に生きるキャラクター達も、"魔法"の存在しない世界に生きる"特別な力"のない3人も、等しく現実的な悩みに直面する場面が現れる。そういったとき、「おジャ魔女どれみ」でも「スーパー戦隊」、「仮面ライダー」、そして「プリキュア」でも彼ら、彼女らは“特別な能力”で安易に解決することはない。現実の問題に対しては、ただただ自分たちの力で解決していくのだ。
 例えば、今週のプリキュアは、沢泉ちゆ(キュアフォンテーヌ)の弟・とうじが家業の旅館の仕事を手伝うものの何度も失敗してしまい、なんでもできる姉と比べてコンプレックスを感じてしまう。それをとうじのことをずっと見守っていたちゆの妖精ペギタンの言葉を風鈴あすみ(キュアアース)が「みんな違った良いところがある。とうじにも優しくて一生懸命な良いところがあって、それを見ているひとがいるんだ」と伝えることで、とうじはまた旅館の仕事を頑張ろうと前を向くのである。ここにプリキュアのちからなど”特別な力”は全く介在しない。
 こういった自分たちの力で解決していったヒロインに憧れていた、ミレやソラ、レイカ達は、どれみ達、「憧れたヒロイン達」からほんの少しの力をもらって問題に向き合っていく姿が描かれていることがこの物語の一つの肝である。この問題に向き合っていく姿は「ニチアサ」のヒーローやヒロインたちとなんら変わらない。
 あのころ憧れたヒーローやヒロインは現実に生きる私たちに"魔法"なんて”特別な力”は与えてはくれない。それでも、ふとしたとき前に進む力を、原動力を、少しだけ分けてくれる。それこそ「おジャ魔女どれみ」の、「ニチアサ」の、ひいてはエンタメの持つ"魔法"なのではないか。本作はそんなことを感じさせてくれる作品だ。

今日の一枚

f:id:wanwanfever:20201117180721j:plain
魔女見習いを探してを観に行ったとき映画館を出て撮った写真。
信濃川の河川敷のこの辺りはやすらぎ提って呼ばれるんだけど、自転車で走ると気持ち良くて好き。