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劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア -もうひとつのリアルと造られた世界-

 10月30日から公開された『ソードアート・オンライン』シリーズの新作劇場版である『ソードアート・オンライン -プログレッシブ-』はシリーズ最初期のエピソードである”アインクラッド編”をリブートした物語。本作『星なき夜のアリア』はテレビアニメ1期の1・2話の時間軸をシリーズのヒロインであるアスナ視点から描いた物語である。

 『ソードアート・オンライン』もテレビアニメ1期が放映されてから約9年、各2クールで4回のアニメ化と劇場版1つ、シリーズを重ねてきた。
 シリーズを重ねるごとに積み重ねられてきた映像クオリティの進化、それは本作でも健在である。テレビアニメ版の1・2話と比較すると、ソードスキルが発動するときに発生するエフェクトやアインクラッド内の夜景・夕景のシーンなどから撮影効果の進化を再確認することができ、すこしおかしな表現ではあるが仮想世界のリアリティ、実在感も格段に上がっている。

 しかし、一方で『ソードアート・オンライン』で描かれる仮想世界はゲーム内のフルダイブ空間であり造り物の世界である。
 『ソードアート・オンライン』は今で言うところの異世界モノと似た物語構造を持ち、多くの異世界モノがそうであるように主人公無双型の作品である。しかし、本作の舞台は異世界ではなく仮想世界である。NPCであることを示すためにキャラクターの頭上に浮かぶシステムアイコンや、特定の構えをすることで自動的に発動するソードスキルなど、これまで『ソードアート・オンライン』ではいくつものフルダイブ型のゲーム世界・仮想世界が描かれてきたが、どれもビジュアル、設定、物語中にゲーム的な駆け引きが作りこまれている。映像表現の向上により実在感は増したが、プログラムによって支配された世界が造り物の世界が舞台であることもまた映像の節々から強く感じられる。
 それは、”フルダイブ技術に対するロマン”が『ソードアート・オンライン』という作品の根底に流れているからなのだ。

 この”ロマン”は、もちろん設定だけでなく物語の中にも落とし込まれている。
 例えば、これまでの『ソードアート・オンライン』の中でアスナ視点を描いたエピソード繋がりとして、2期後半の”マザーズ・ロザリオ編”について見てみる。このエピソード重い病により現実世界では自由に生きられない少女が、フルダイブ技術、仮想世界によって自由を手に入れている。ある意味で、”アインクラッド編”で仮想世界に囚われたキリトやアスナたちとは対となるような物語である。

 今作の後半で描かれたアスナとキリトの出会いを見てみよう。敵のトラップによってミトと離れ離れになったアスナ。死の恐怖、SAOの世界に抗うために戦っていた。ゲームを攻略するため、というよりも自分を保ち続けるために戦っていた。そんな中、ダンジョン内で偶然出会ったキリトとボス攻略のためにパーティを組み、ともに戦うこととなる。
 そこでボスまで向かう道中、アスナは「本物の世界でボス戦に向かうような一行はどんな会話をするのか?」という問いをキリトに投げかける。キリトは「魔物退治を生業とする人たちはそれが日常で今晩の食事をするんじゃないか」と答える。仮想世界は現実ではない究極の“非日常”であると考えているアスナは、それが”日常”になるという答えに可笑しさを覚える。このシーンはアスナとキリトの仮想世界に対する認識の違いが端的に表れてる。
 キリトが仮想世界をもうひとつの現実と捉えている。これはそれまでのキリトの振る舞いからも読み解くことができる。キリトはゲーム攻略のために戦っているが、パンにつける調味料を模索したり、風呂付きの快適な宿をこしらえたり、攻略一辺倒ではない。キリト自身が口にした”魔物退治を生業とする人たち”のように振る舞っている。キリトは、ゲームの世界やアニメの世界に入ってみたいという願望をフルダイブ技術によって実現しているのだ。
 つまり、キリトは『ソードアート・オンライン』という作品の根底に流れる”ロマン”そのものを体現したキャラクターということができる。だからこそ、アスナは仮想世界という”非日常”において、自分らしく自然に振る舞うキリトの姿に憧れ、目標としたのだ。そして、キリトに憧れるのはアスナだけでない、私たち視聴者もまた同じなのである。

今日の一枚

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