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すずめの戸締まり ー「行ってきます」についてー

(本編ネタバレありです)

本作は、喪失の記憶と向き合う物語だ。
すずめの向き合う記憶は、震災の日に母の喪った記憶、明日に希望が持てなくなるほど深い喪失だ。すずめの終着点はそんな辛い記憶と向き合う。それでは、そんな喪失と向き合った、その後、その気持ちの置き所についてどう描いたのか。本作のラストのセリフから考えてみたい。
本作は、すずめが「行ってきます」と言って”後ろ戸”に鍵をかけることで物語の幕が一度下りる。
これまで”後ろ戸”に鍵をかけるとき、「お返しします」「お返し申す」と言ってきたが、本作のラストだけは”後ろ戸”に鍵をかけるとき「行ってきます」と言う。なぜここだけ「行ってきます」なのだろうか。

まず、本作はすずめのロード―ムービーである。すずめは、不思議な猫・ダイジンの呪いによって椅子になってしまった草太を元に戻すため、また日本各地で開いた”後ろ戸”を閉じて鍵をかけるために旅をすることになる。
”後ろ戸”とは日本各地の廃墟に存在し、開いた”後ろ戸”からは向こう側から災いがやってくる。
この”後ろ戸”を閉じて鍵をかけるには必要な儀式がある。それは、廃墟にかつて存在した景色や人々、記憶、感情を想って声を聴くこと。そうすることで"後ろ戸"の鍵穴が現れ鍵をかけることができる。”後ろ戸”とは、厄災に通ずる場所でもあるが、喪失の記憶にアクセスする場所でもある。
そうして日本各地の”後ろ戸”を閉じて回るすずめの旅は、最後に東北のすずめの故郷にたどり着く。だから物語の最後に出てくる”後ろ戸”とは、すずめが12年前の自身の喪失の記憶と向き合う場所であり、それが物語のクライマックスとなっている。
また、一方でこれまでの”後ろ戸”を閉じるときに言ってきた「お返しします」「お返し申す」とは、人に捨てられ”廃墟”となって土地を神々にお返ししますという意味合いの言葉である。

対して「行ってきます」とは、戻ってくる自分の大事な場所にかける言葉だ。つまりすずめの「行ってきます」とは、喪失の記憶は大事な場所として、また向き合うところとして鍵をかけておくという意味合い。それと、この土地にはまた人が戻ってくる場所だという意味を持った言葉なのである。つまり、震災の土地は打ち捨てられたままの場所ではないという、復興への希望を託した言葉なのである。

今日の一枚