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『Iの悲劇』米澤穂信著 感想

※この記事は重大なネタバレを含みます
 住む人のいなくなった集落「簑石」に人を呼び戻すプロジェクト、「Iターン支援推進プロジェクト」。そのプロジェクトに当たるのは、万願寺和邦、観山遊香、西野秀嗣の南はかま市「甦り課」の3人の公務員。物語は万願寺邦和の視点で語られる。


 本作は、序章と終幕を含めた全8編で構成される。
 プロジェクトで「簑石」に移住してきた住民たちの間で発生する「謎」に奔走し解決していくというのが、各章の大まかな筋立てだ。そして「謎」が解決するころには限界集落という地域に住むという現実や移住者同士での人間関係に疑念から徐々に蓑石から人が去っていく…
 終章では序章と同じく人の住まない集落「簔石」だけが残り、すべての発端に気付いた万願寺は西野課長は問い詰める。それに対し西野課長はこう語る。

「<前略>…まちを維持するには金がかかる。広ければ広いほど高くつく。人口が同じなら、まちは狭いほどいい。南はかま市には簔石を維持するだけの予算がない」


『Iの悲劇』P336

 「Iターン支援推進プロジェクト」によって人が住んでしまうことで、他の事に使えるはずだった予算が数十人の、しかも他の地域から来た移住者のため割かなくてはいけなくなる。つまり、「Iターン支援推進プロジェクト」で甦った「簔石」は市にとってお荷物になってしまう。だから、西野課長と観山は移住してきた住民が「簔石」から出ていくように仕向けたのだと語る。

 しかし、現実にはそんなプロジェクトが無くても同じような状況は存在する。少し車を走らせば蓑石と同じ道を辿るのであろうと想像できる地域が日本中にある。そういう土地は突然人が居なくなるのではなく、ゆっくりと衰退していく。今まさに衰退しつつある地域と「Iターン支援推進プロジェクト」で甦りをはたした「簔石」は、ある意味で似ている。物語では「簔石」の移住してきた住人をまた退去させることで、「簔石」に割く予算が浮いたが、現実で衰退している地域はどうだろうか。
 私が住む市もほんの十数年前、周辺の町や村を合併して大きくなった。まだ市の中心からほど遠くない場所に住んでいる私は公共施設も興行施設も"ある程度"整っており生活に不便は少ない。しかし、辺境でも同じような暮らしができるのだろうか。
 そんな疑念を感じることは稀な事でない。
 衰退していく地域を犠牲することない社会を作るには?それは個人や地方行政などのちいさな単位では簡単に解決できる問題ではない。だからといって目をそらし続ける事は出来ない。

 滅びた「簔石」を見つめ、自己を正当化するように移住してきた住民たちにやってきた行いを告白する西野課長と観山の姿が。二人の行いに一定の理解を感じながら"それでも"と葛藤する万願寺のやりきれなさが。今自分の周りに起きている緩やかな衰退を憂えずにはいられない。そんな力のある作品であった。

今日の一枚

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