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サイダーのように言葉が湧き上がる -なぜか少し抒情的な気分なる、そんな話-

 1年前の今頃、部署の人が定年退職を迎えた。非常に多くの人に慕われるような人だった。最終出社のその日、入社した当時の仕事について多くの人の前で話していた。今自分が務めている工場の竣工と同時に入社し、その工場と共に会社人生を歩んできたということだ。
 その日、会社からの帰りはたまたまその人が私の数歩先を歩いていた。私はその人の背中を見ながら帰路に着いた。明日から会社に来なくなる、そんな日が誰にでも、自分にもいつか訪れるのだろう。長い長い順番待ちの列のはるか後方にいる自分の姿が思い浮かんだ。

 『サイダーのように言葉が湧き上がる』を観てそんなことを思い出して抒情的な気分になったのは、本作が長い時間の流れの中の”今”という時代を切り取ったような作品だったからだ。


 このような書き出しではどんな映画かわかりにくいだろうが、本作はショッピングモールを舞台とした爽やかな青春映画である。
 俳句が趣味の男子高校生・チェリーこと「佐倉結以」と人気の動画配信主の女子高生・スマイルこと「星野ユキ」、スマイルはショッピングモールで動画配信中にチェリーとぶつかり、落としたスマホをチェリーのものと取り違えてしまう。それをきっかけにふたりの交流が始まる。
 スマホで気軽に配信を始めたり、スマホが無くなったことに「死んでしまう」と嘆くスマイルや、作った俳句をSNSに発信するチェリーなど、まず二人のキャラクター性に"今"という時代が切り取られているように感じる。そして、2人の交流を深めていく中にもSNSというツールが現実と同じくらいの比重で使われているのが”今どき”だ。また、図らずもこの2021年という”今”との繋がりを強く感じさせるものとスマイルが矯正している出っ歯を隠すために作中のほとんどの場面で"マスク"をしている姿についても言及しておきたい。


 しかし、本作『サイダーのように言葉が湧き上がる』はただ点描のように"今"を切り取っているわけではない。チェリーとスマイル、2人の青春の後景には地域の歴史が浮かび上がっている。
 その歴史、時間の流れを浮かび上がらせるのに重要な役割を果たしているのがデイサービス「陽だまり」に通う老人・フジヤマがなくした”レコード”である。
 デイサービス「陽だまり」はチェリーが母親の代わりに夏休みの間バイトしているショッピングモール内の施設。スマイルもまたチェリーとの交流を深めるうちに同じくそこでバイトを始める。そこで、フジヤマが失くしたレコードを探すしだすというのが、本作の大筋の流れになる。
 そして、失くしたレコードの手がかりを探すうちに、ショッピングモールが元々レコードのプレス工場だったこと、探しているレコードの曲「YAMAZAKURA」がフジヤマの奥さんの曲だったことなど、フジヤマや地域の50年前の過去が浮かび上がる。”今”という時間を描きながらも、レコードを端緒に50年前、地域の歴史を浮かび上がらせることで、時間の流れの中に”今”が存在することを意識させているのだ。


 本作ではレコード、厳密には”YAMAZAKURA”という曲がフジヤマの青春の記憶にアクセスするつくりになっている。チェリーの趣味とする”俳句”もまた時間を切り取るものとして長い間親しまれてきた。だから、”今”を切り取った本作もまた数年後に過去を浮かび上がらせる作品になるのではないか、そんな予感をふと感じるのであった。

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