メガネ属性≠負け属性

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イエスタデイをうたって ー愛とはなんぞや?ー

ヤワなハートがしびれる ここちよい針のシゲキ
理由もないのに輝く それだけが愛のしるし
愛のしるし」作詞・作曲 : 草野正宗

好意にまつわる気持ち「愛」
多くの物語や詩に登場するが、上で引用した歌詞のようにとてもふんわりした感覚でしか説明することができない。端的に言語がすることは非常に難しい概念である。
イエスタデイをうたってはこの「愛とはなんぞや?」をテーマに4人と男女の物語が紡がれる。

分からないから進めない、じれったい

 本作はスローテンポに話が進んでいく。他作の恋愛と比べると4人の関係性の進展の遅さはじれったさすら感じるくらいである。
そもそも「愛とはなんぞや?」という疑問は、正体が分からず言葉にできないからこそ生まれる問いである。つまり、自分のまたは他人の好意を上手く受け止めきれないからこそ、戸惑い自問するのである。
そんな問いをテーマにした本作の焦点は恋愛における逡巡。逡巡に焦点を当てているから「じれったさ」を感じるのであろう。

自問し逡巡する彼ら彼女ら

 例えば、フリーターの魚住陸生(リクオ)は、自分の気持ちに整理をつけるために大学時代の好意を抱いていた榀子に告白するもやんわりと振られてしまう。しかし、振られた後も友達以上恋人未満の関係は変わらないまま、リクオは片思いを続けている。
一方で、リクオはバイト先によく来る謎の女の子、野中晴(ハル)に好意を向けられる。しかし、榀子への思いを引きずっているリクオはハルの好意に応えることもできない。
物語が進むにしたがって少しづつ榀子の想いにも変化していくが、一方で仕事を応援され、自身に向けられるハルの好意を無下にできないリクオは榀子と今一歩関係を進めることができない。そして、ハルに少なからず好意を抱いていること、ハルがいるから歯切れ悪くなっていることを榀子に指摘される。
リクオは元々あった自分の好意とハルから向けられる好意の狭間で自分の気持ちがあやふやになり、見失っている。

 また、ハルはリクオが忘れてしまうような本当に小さなすれ違いをきっかけにリクオに好意を持つ。リクオと接点のない彼女は、何度もバイト先に押しかけリクオを振り回す。
強引な性格で破天荒に見える一方、本当にリクオの邪魔にならないように振る舞う。誠実にリクオに向き合おうとする、健気さも持ち合わせている。
しかし、元々リクオと接点がない彼女は自分から行動しない限り進展することがないが、ハルはリクオの将来を応援することくらいしかできないことを歯がゆく思い、行き場のなくした気持ちはハルを停滞させる。

 他の二人、森ノ目榀子は過去の想い人と好意を寄せられる相手への気持ちの間に揺れる。「想い人」の弟扱いされ、自分のアイデンティティを求めることに固執する早波浪は行動に危うさがある。
やはり、リクオやハルと同様に様々な思いが交錯して自分の気持ちを掴み切れず、もがいている。

「愛とはなんぞや?」

 誰も彼もが自分の好意を相手の気持ちを、持て余し、振り回され、立ち止まったり、間違えてしまう。
本作は、恐る恐る迷いながら自分の好意と相手の気持ちとに向き合っていく男女の姿を描いた物語である。
そんな彼ら彼女らのじれったい懊悩を、しっとりとした空気感、息づかいで情感たっぷりに伝え「愛とはなんぞや?」という問いを浮かび上がらせるのである。

今日の一枚

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朝焼け、夕暮れの時間帯は暗視野と明視野が同時に働く微妙な明るさで。
暗視野は明視野より視感度のピークを短波長、青い光側に持っているんだって。
普段と違う視覚の使い方してるから、印象的な景色に映るんだなって思った。