メガネ属性≠負け属性

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よふかしのうた -日常から外れたよふかしの魅力-

タイトルの通り『よふかしのうた』は夜を舞台にした作品だ。
空を大きく切り取り、街灯や星の明かりなどで画面全体を黄色や紫などのネオン色に彩り、魅惑的な夜の風景を演出している。しかし、街灯の明かりがある中では天の川など見ることはできないし、夜の暗所視では色覚能力は落ちるためあそこまで彩度高く感じられない。特に、暗所視では感度のピークは青色方向にシフトするので赤や黄色などの色は知覚しづらくなる。
だから、よふかしのうたで描かれる夜の風景は現実そのままの夜というより、夜守コウの心象風景としての夜と捉えることができるだろう。


本作は吸血鬼の七草ナズナとの出会いによって、よふかしの魅力に惹きこまれた夜守コウのお話だ。
夜守コウは、女子に告白されたことがきっかけでこれまで上手くやってきたはずの学校生活が嫌になってしまい不登校になる。以来、不眠症になった彼は、ある日夜の街を徘徊し始める。そこで彼は七草ナズナに出会う。七草ナズナと共に夜の街に繰り出し、よふかしの魅力にみせられた夜守コウ。彼は、夜に生きるために七草ナズナに吸血鬼にしてもらいたいと願うようになる。

冒頭にも書いたように、本作で描かれる夜景は夜守コウが感じた楽しい夜だ。本作描いているよふかしの魅力、それは日常からはみ出して自分を解放できる自由さだ。
義務教育も真っ只中の中学2年生という時期、学校と家庭が社会のほぼすべてである。それら社会的なしがらみから自由になれる、と思春期の彼らが感じられるのは、夜の街くらいだ。本作はそういった、中学生の心理的な自由を得られる場所としての、夜の街の魅力、それを本作は表現している。七草ナズナは夜の街で酔いつぶれてベンチに座るおっさんたちとハイタッチを交わす。見知らぬおっさんとそんな交流ができるのは夜の自由さだ。
その自由さは、日常から外れた夜その場限りの交流だからだ。言い換えれば後腐れがないからできる自由さであり、日常のしがらみがあるからこそ自由さが魅力的になる面もある。

しかし、夜守コウが吸血鬼になるにはナズナに恋をしなくてはならない。それは、後腐れのない関係とは程遠いものである。そして、コウくんはナズナちゃんの不意を突かれたキスで恋愛感情と勘違いするくらいに、自分の感情を持て余している。そんな夜守コウがよふかしを通して、七草ナズナとの関係値はどのようになっていくのか、日常のしがらみと折り合いをつけられるのか、見守るように楽しみたい。

今日の一枚


本作の1話をみたとき、『それでも町は廻っている』第16話「ナイトウォーカー」を思い出した。こちらは、主人公の歩鳥の弟・たけるが初めての夜の街を歩き回る話だ。初めて夜の町を出歩く小学生ならでは感性と高揚感が印象的なエピソードで、すこし本作に同じようなにおいを感じた。