メガネ属性≠負け属性

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終映したけど、『アリスとテレスのまぼろし工場』の感想をいまさら書く

もう終映になってしまったけど感想の書き残します。
今になってようやく書く気力が起きたから書き残します。


岡田磨里の監督作の2つ目となる『アリスとテレスのまぼろし工場』。
初見は先行試写会だからもう2か月以上も前の事だ。
試写会のスクリーンから出てすぐに呟いたツイートは以下だ。


何か言っているようで、中身には何も触れていない。まあ試写会だからネタバレなしで書いたからというのもあるが、結局はすぐに受け止めきれなかったのだ。つまらなくはない、むしろ見どころはあった、私の好きな岡田麿里監督らしいフィルムだった、しかし、どう咀嚼すればよいか分からない。そういう状況である。
特に、クライマックスの現実とまぼろしの世界が裂け目から重なり合っている映像とカーチェイスの迫力には興奮した。列車で睦実が五実に向かって話すセリフはまさに岡田磨里にしか書けないようなむき出しの感情がありありで、たまらなくなった。
そして、幕を閉じて鳴り響く中島みゆき『心音』、五実を突き放すようで励ます歌詞が力強く歌いあげられて、まさにこの作品にマッチした曲で一瞬にして虜になった。
そう、終盤は分かりやすい盛り上げがありノレたのだ。ノレたのだが、そこまでの展開は変わったことをしているなと感じつつも何なんだろうこの物語はどこに向かっているんだろうというモヤモヤを感じていた。
スクリーンから出てもこのモヤモヤを抱え続けていたのだ。


この作品は変わってる。この作品には物事の正しい、正しくないを測るものさしが存在しない。

本作は、永遠に時が進まない見伏という土地が舞台となる。端的に言えばこの見伏という土地は企業城下町のようなものだ。ほとんどの住人は町の中心にある見伏製鉄所で働いており、子ども達もみなうっすらと将来は製鉄所で働くんだろうと感じて過ごしている。しかし、この製鉄所が爆発を起こした日を境に時を止めた。なぜ、時を止めてしまったのか、それは誰にもわからない。ただ見伏の住人はもし時が動き出した時に、時が止まった瞬間から変わらないようにと、毎日を過ごしている。
変わらないように過ごす事、これは佐上という一人の男が言い出したものだ。これが正しいのかどうか、誰にも分からない。

物語の中盤では、製鉄所に囚われている五実を解放しようと正宗が動く。製鉄所に閉じ込めていた張本人である佐上との対立は、アニメでよく見かけるような大人と子どもの対立の構図になる。アニメでは、往々にして子ども(主人公サイド)の方が正しい。だから本作でもあたかも、正宗の行動を肯定するような演出で物語が展開される。五実を外へ連れ出すと、五実の感情に呼応して空が割れ始め時を止めたこの世界が壊れるような期待が高まる。しかし、空の割れ目は徐々に閉じ始め、もとに戻ってしまう。
結局のところ、本作の世界の成り立ちに1つの解答は与えられない。だから、どう行動することが事態を好転させるのか分からない。むしろ、好転した事態というものかすらも定まっていない。物語上で行動の結果何かが変わるような気配は起こっても結局大きく世界が変化することはなく閉塞感が蔓延し続ける。

なんなんだろうこれは、何を表現したかったんだろう、モヤモヤしながら2,3日考え続けた。
同じようになんなんだろうこれは、と感じる作品。けど、これは面白い作品だと思える作品。
同じような感想を抱いた作品を補助線にして、これは状況を表現することが目的の作品なのかと一つ思い当たった。
つまり、大人も子どももなく誰もがどうすればいいのか分からない状況を作り出した作品なのだと。
だれもどうすれば良いのか分からない状況で順応しようとする人たちの姿を見せたかったのだと。

佐上は見伏神社の社家として、時が止まった状況にひとつの理屈を立てた。それは見伏の人にひとつの真実として受け入れられ、佐上の理屈に従って過ごしていた。
佐上は自分が受け入れられた状況に気をよくして、この状況、時が止まった世界が続くように動いた。

また、上でも書いたように見伏は製鉄所の雇用が中心の町であり、この世界では見伏から出ることはできない閉ざされた空間である。
正宗や睦実は永遠に大人になれない、未来がない。唯一認められた大人の権利は車を運転することだけだ。
岡田磨里監督は、『空の青さを知る人よ』では脚本家として秩父という土地の閉塞感を描いた。
本作ではそこから更にバージョンアップして空間に加えて時間をも閉ざした状況を描いている。

と、こう整理してみて2回目を見ると非常に岡田磨里らしい、人々の生々しい生を感じる面白い作品だと感じられた。

ところで、なぜ見伏の時が止まったのかという謎について、正宗の祖父から「見伏の一番良い時期を残したかった」と一つの真実のような解釈が語られる。
見伏の中心である製鉄所で爆発が起こり、徐々に見伏が衰退していくその分岐点を。
また、作中の時が止まった時間というのはサントラなどから分かるように1991年である。
この年代というのはバブル崩壊の時期と重なる。日本全体で見ても、成長が止まり停滞が始まっていく年代である。
私はこの時代にはまだ生まれていない。見伏が衰退していく時代しか知らない。知らないのだ。
そのことがたまらなく悲しくなる。

今日の一枚