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かがみの孤城 -ナイーブな気持ちに向き合う眼差し-

かがみの孤城』は辻村深月の同名小説を原作とした劇場アニメ作品、監督は「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」や「カラフル」などを手掛けた原恵一

安西こころはある日、自室の鏡が光っていることに気づく。恐る恐る鏡に近づくと、孤城がそびえたつ異世界に飛ばされてしまう。そこには「オオカミさま」と呼ばれる未就学児くらいの背格好をした城の管理人に出迎えられる。城の中に入ると、こころと同じように孤城に招かれた6人の子どもたちがいた。そして、こころを含めた7人に向かって「オオカミさま」は告げる「城に隠された鍵を見つければ、どんな願いでも叶えてやろう」、と。というあらすじ。
かがみの城、「オオカミさま」、などの舞台設定をみるとファンタジー色の強い話なのだろうと感じるだろうが、このかがみの中の城で過ごすこころ達、7人の交流を描いた物語だ。その中でも特に、こころが抱えている問題に軸足が置かれている。この問題に向き合う作品の姿勢が実に誠実な語り口だった。

孤城に招かれた7人は同じ境遇いる。それは学校に行っていない生徒、つまり不登校児であること。
「学校に行かないんじゃなくて、行けないんだ」と語るこころが、かがみの城での1年間の交流と通じて、もう一度踏み出すまでの過程を丁寧に描いている。
まず冒頭では、こころは自室から降りて今日も学校へ行けないことを母親に伝える。このときの遠慮がち母親に話す距離感や、その後学校からプリントを毎日届けてくれるクラスメイトを自室のカーテンから控えめに覗く。本作は独白を控えめに抑え、こころの一挙手一投足を丁寧に捉える描写を積み上げいく。
こころは学校に行けない状態と独りで戦っている。この内省的な戦いをただ映像にするには地味になりがちだ。しかし、本作はその内省的な戦いをアニメ的な跳躍した表現を使わずに、そのまま映像に切り取る。それは、こころの感じている痛みや、前に踏み出す勇気、不安、こころの胸の内の中で渦巻く感情を取りこぼさず、我々観客に推し量って欲しいという本作の語りだ。
物語の中盤以降、城に集められた7人が同じ学校に通う仲間だということが明かされる。そして、現実で集まることで自分達は支え合うことができるのはないかと提案し、彼女たちは一度学校へ登校する。このときの学校へ向かう足がすくむ不安とそれでも前に進もうとする勇気が切実な形で迫ってくる。
また、こころは城で仲間たちという支えを貰い、現実でも母親やフリースクールの喜多嶋先生、といった何があっても味方になってくれる大人と一緒に一歩一歩解決の道を探っていく。このこころが問題を解決していく過程にはアニメ的な奇跡などは何も起こらない。それでもこれが我々観客の胸を打つ。それはこの語り口が彼女たちのナイーブな気持ちに向き合っている何よりもの証左である。

本作はかがみの城という飛び道具的な舞台装置をメインに据えているが、実に現実的で地に足付けた描写終始していた。しかし、フィルムに一貫して注がれている彼女たちの気持ちに向き合う眼差しによって芯の通った映画が一本出来上がっていた。

今日の一枚